バンドネオンの歴史に就いて

え~、我が国日本において
「バンドネオンの製作者はハインリッヒ・バンド (Heinrich Band)である」
「バンドネオンという楽器名は製作者の名前からとったものである」


と、各所でわかりやすい説明がされてきておりました。

ただし、バンドネオンの音や実物に触れるような機会があってもまともな説明はほぼ無しです。バンドネオンの教本にも突っ込んだ内容の記載はありません。


ある意味、我々は騙され続けていたといっても良いのかもしれません。
いや、むしろ「バンドネオン」という楽器が奏者をも騙し続けていた可能性があります。

無論、マニアの間でのみ情報交換はされていたようですが、それらの説明がされる風潮はほぼなかったようなのでこれは仕方ありません。


さて、この記事の冒頭のようにわかりやすく簡潔に説明できたらどんなに良いだろうか。と筆者は何度も思いましたが、残念ながらそのような単純な話ではございません。

というのも、「バンドネオン」とは特定の楽器を指した名称ではなく、ある過渡的な現象を指したものにすぎないからです。

個人的ではありますが、年表にまとめたのでご覧になっていってください。(予告無しに変更・追記・修正・削除をすることがございます。)

結論を先に記載します。

バンドネオンの基本原理はあくまでもカール・フリードリッヒ・ウーリヒ(Carl Friedrich Uhlig) によって固められたものです。

バンドネオンの発祥は、ハインリッヒ・バンド出生の地「クレーフェルト(Krefeld)」ではありません。ザクセン(Sachsen)の「ケムニッツ(Chemnitz)」です。

このページを訪問された方は

「ウーリヒ(Uhlig)によって製作された楽器「ケムニッツァ・コンサーティナ(Chemnitzer concertina)」にハインリッヒ・バンドが改良を加え、それと同時期にカール・フリードリヒ・ツィマーマンらによって製造販売され、次第に「バンドネオン (Bandoneon)」という呼称が業界に定着した」という認識をされるようお願いします。


もっと詳しく知りたい方は海外の文献やサイト、バンドネオン製作者をあたってみて下さい。研究者は世の中にゴロゴロ居ります。




[年表]——————————————————————————–

1821年ベルリンのクリスチャン・フリードリッヒ・ルートヴィヒ・ブッシュマン(Christian Friedrich Ludwig Buschmann) (1805 – 1864年)、「オーラ(Aura)」あるいは「ムンダエオリン(Mundaeoline)」と呼ばれる15本の金属製リードを備えた全音階のハーモニカの原型を試作。


1822年クリスチャン・フリードリッヒ・ルートヴィヒ・ブッシュマン(Christian Friedrich Ludwig Buschmann) が「オーラ(Aura)」に蛇腹を追加したものを発明する。これは「ハンドハーモニカ(Handharmonika)」または「ハンデオリン(Hand äoline)(あるいはAeoline, Harmonium)」と呼ばれた。(これが最初のバンドネオンのような物である。)


1825年オーストリアのウィーンでシリル・デミアン(Cyrill Damian)(1772 – 1847年)が「アコーディオン」と呼ばれる小さな楽器を開発。


1827年イギリスの工学者チャールズホイートストーン(Charles Wheatstone)(1802 – 1872年)が「ホイートストーンコンサーティーナ」を製作。(ちなみにこの方、電気抵抗の測定法であるホイートストンブリッジを広めた方で電気工学の世界では有名です。電信とマイクの発明にも寄与されています。)

同年ドイツ南部の町トロッシンゲン (Trossingen)で時計職人のクリスチャン・メスナー(Christian Messner)(1805 – 1874年)が、「マウス・ハープ」と呼ばれる現在のハーモニカに匹敵するものを手造りで製造し事業化。(ハーモニカの誕生年といわれる。)


1829年シリル・デミアン(Cyrill Damian)とその息子CarlとGuidoが小型アコーディオンの特許を取り、「Cyrill Demian & Sons」として製造販売を開始。



同年 チャールズホイートストーン(Charles Wheatstone)が、押引同音64ボタン六角形のイングリッシュ・コンサーティーナの特許を取得。さらには「マウスオルガン(Mouth organ) あるいはシンフォニウム (Symphonium)」を開発。(これもバンドネオンのような物に相当する)



1834年ドイツのカール・フリードリヒ・ウーリヒ(Carl Friedrich Uhlig)(1789 – 1874年)は、シリル・デミアン(Cyrillus Damian)のアコーディオンのキーボードに不満を持ち、左右にボタンを振り分けた正方形状のコンサーティーナ「NewArtAccordion」を作成。これは後に「ケムニッツァ・コンサーティナ(Chemnitzer concertina)」と呼ばれるもののプロトタイプにあたり、左側 5ボタン、右側 5ボタンで押引同音20音。「Harmonikafabrik Lange / Uhlig」社はChemnitzに100年以上存在し、優れた品質の楽器を製造します。


1840年カール・フリードリヒ・ウーリヒ(Carl Friedrich Uhlig)は、56音の新しいモデルを発表。キーボードの中央部分は後の「ライニッシュ式配列(Rheinische lage)」と共通する。(なお、1846年にはウーリヒ(Uhlig)により88音にまで拡張される。)

一方その頃、クレーフェルト(Krefeld出身)の演奏家 ハインリッヒ・バンド (Heinrich Band)(1821-1860年)は、ケムニッツ(Chemnitz)を訪問しウーリヒ(Uhlig)のコンサーティーナの存在を知る。


1843年ハインリッヒ・バンド (Heinrich Band)がカールスフェルトに楽器店を開き、楽器の売買取引と楽器のレッスンを行う事業を始める。


1846年ハインリッヒ・バンド (Heinrich Band)がウーリヒ(Uhlig)のコンサーティーナの左手(低音)側の音域が不十分であることに気付き、改良版を考案し販売開始。左手側は ウーリヒのコンサーティーナの配列を継承している。楽器はザクセン州などから仕入れており、ハインリッヒ・バンド (Heinrich Band)自身は楽器の製作を行っていない。

本人はこの時点ではあくまでも「コンサーティーナ」の一種と見なしていた模様。少なくとも1855年までは「新型のアコーディオン」と呼ばれていたようで、これはウーリヒ(Uhlig)の「Chemnitzer Concertina」と区別するためである。


1847年Chemnitzer Concertina奏者 カール・フリードリヒ・ツィマーマン(Carl Friedrich Zimmermann)(1817 – 1898年)が、最初の工房を カールスフェルト(Carlsfeld)に立ち上げ楽器の製作販売を開始。

自分仕様の楽器を作るためウーリヒからリードボードの提供を受け「Chemnitzer Concertina」をベースにボタンレイアウトの見直しを図る。


1851年カール・フリードリヒ・ツィマーマン(Carl Friedrich Zimmermann) が自作の楽器(108音 コンサーティーナ)を「カールスフェルト・コンサーティーナ(Carlsfeld Concertina)」としてロンドンで開催された世界楽器博覧会に展示。この時点で、「Chemnitzer」と「Carlsfelder」 で仕様が分かれる。


1854年カール・フリードリヒ・ウーリヒ(Carl Friedrich Uhlig)は専門家による会議で議長を務め、「ケムニッツァ・コンサーティナ(Chemnitzer Concertina)」の基本仕様を取り決める。

この頃、カール・フリードリヒ・ツィマーマン(Carl Friedrich Zimmermann)がバンドネオンをミュンヘンで開催された産業展示会に出品。製造販売事業を本格的に開始する。


1855年ハインリッヒ・バンド (Heinrich Band)の楽器店を継いだ、息子のAlfred Band(アルフレッド・バンド)はこの頃から商品に「Bandonion(バンド二オン)」という名前を付けて販売する。「バンドニオン」という名前で楽器を販売したとき、売り上げは飛躍的に上昇した。(ただし、バンド自身は包括的な用語「Harmonicachromatique」を使用することを好んでいたため、周辺のディーラー達に呼称されたという説が濃厚)

1864年 エルンスト・ルイス・アーノルド(Ernst Louis Arnold) (1828 – 1910年)はカール・フリードリヒ・ツィマーマン(Carl Friedrich Zimmermann)の弟子で工場長であったが、ドイツを離れるツィマーマンから事業を買い取りそのまま引き継いで「ELA」社を設立。


1874年 ケムニッツでコンサーティーナ協会が設立される。その後、ルール地方、ライプツィヒ、ミュンヘンでも設立される。


1890年 この頃、アルゼンチンの売春宿 兼 居酒屋でタンゴが発祥する。ファッショナブルなダンスとして徐々に世界中に広まる。


1903年 ジュリアス・ザデマック(Julius Zademack)(1874-1941年)が、最初の押引同音(Uni-Sonic)のバンドネオンを製作。この設計思想は後の「クセローバンドネオン(Kusserow Bandoneon)」に継承される。


1911年 エルンスト・ルイス・アーノルド(Ernst Louis Arnold)の死後、息子のポール(Paul)とアルフレッド(Alfred) が事業を引き継ぎ 「Alfred Arnold」社 (Alfred Arnold Bandonion- und Konzertina-Fabrik Carlsfeld)を設立。


子供の頃から工場で働いていたアルフレッド・アーノルド(Alfred Arnold)はこの頃に押引異音(Bi-Sonic) 71ボタンのバンドネオンを考案し、「AA、Doble A(ドブレアー)」というブランドで南米輸出向けの製作販売に力を入れる。

この71ボタンのモデルは、アルゼンチンとウルグアイの演奏家の要望によるもので、「ライニッシュ式配列(Rheinische lage)」と呼ばれる。アルゼンチンのバンドネオン奏者 ファン・マグリオ(Juan Maglio、通称 Pacho)は、このようなバンドネオンを最初に使用したうちの1人である。
1912年には「Alfred Arnold」社によって152音のシステムも発売されている。

一方その頃、ドイツ アルテンブルクのフリッツ・ミクリッツ(Fritz Micklitz) はジュリアス・ザデマック(Julius Zademack)のUni-Sonicバンドネオンの左手側の音域を拡張し、「ザデマック・ミクリッツ(Zademack/Micklitz)のレイアウト」として楽器の販売を開始。


1914年南米への輸出が成功したことにより、この頃から現地を中心にスペイン語のスペルで「Bandoneón(バンドネオン)」と呼ばれるようになる。


1919年第一次世界大戦後、「Alfred Arnold」社はアルゼンチンとウルグアイからの需要に応えるため楽器生産を再開する。

アルゼンチンでは、既にタンゴにバンドネオンが必要不可欠になっている。押引異音(Bi-Sonic)の開き弾きと閉じ弾きの切り替えが困難なため、スタッカート奏法が考案され、この頃からアルゼンチンタンゴはゆっくりしたBPMで演奏されるようになる。


1920年ベルリンのヒューゴ・スターク(Hugo Stark)(1873 – 1965年)が左右対称のボタンレイアウトで押引同音(Uni Sonic)の「クロマチフォン(Chromatiphon)」を考案。楽器を左右逆にしても同じ指の位置で弾くことができる仕様である。




1921年 ライプツィヒのエミル・シミルド(Emil Schimild)はコンサーティーナとバンドネオンのボタン配列が多様化しそれが混乱を招いているとし、1つの仕様の楽器に統合することを提案。結果的に統合は失敗に終わる。


1924年 ドイツ国内でバンドネオンの仕様が統一される。「アインハイツバンドネオン(Einheits Bandoneon)」と呼ばれるもので 72ボタン、144音。


1925年 フランス パリ在住のアコーディオン奏者 兼 修理師であるチャールズ・ペギュリ(Charles Peguri)が押引同音(Uni-Sonic) 142音の「ペギュリ・システム(Peguri System)」を考案し、アルフレッドアーノルド(Alfred Arnold)社がそれを製作。

これはバンドネオンのボタン配列を、ヨーロッパで普及しているクロマティック・ボタン・アコーディオンのCシステム(イタリア式配列)にあわせて並べ変えた方式で、現在は 73ボタン(左 33、右40)、146音が基本となる。


1926年 ドイツ アルテンブルクのフリッツ・ミクリッツ(Fritz Micklitz) がハーモニフォン(Harmoniphon)を考案。(Uni-Sonic)


1927年 ベルリンのバンドネオン奏者エルンスト・クセロー(Ernst Kusserow)(1897 – 1979年)が押引同音(Uni-Sonic)の「クセローバンドネオン(Kusserow Bandoneon)」を考案。




1930年 アルフレッド・アーノルド(Alfred Arnold)がカールスフェルドの特許庁に「工作機械のガイドウェイを覆うために使用される蛇腹」特許を取得


1933年 ポール・アーノルド(Wilhelm Paul Arnold)の息子 アルノ・アーノルド(Arno Arnold)が最高責任者になる。この頃からナチス政権の管理下になりAAバンドネオンの品質に問題が生じる。その後の第二次世界大戦中(1939 – 1945年)は完全に生産が停止となる。


1948年 第二次世界大戦後、東ドイツのAlfred Arnold の工場が閉鎖、バンドネオンの生産を終了し、ディーゼルエンジンの部品工場になる。

1949年 アルフレッド(Alfred Arnold)の甥であるアルノ・アーノルド(Arno Arnold)は、Alfred Arnold社の元技術者であるミュラー氏の助けにより東ドイツから脱出。オーベルツハウゼン (Obertshausen)市で事業を再始動。「Arno Arnold GmbH」として楽器事業も継続していたが、ドイツ経済の回復ともに「機械向けの蛇腹」の製作販売がメイン事業となる。


1959年 この頃からアーノルドの工場が国営化され、クリンゲンタールハーモニカヴェルケ(VEB Klingenthaler Harmonikawerke)に組み込まれる。生産された楽器に取り付けられる銘板にはこのように「Alfred Arnold」が併記される。しかし、プレートの材料である鉛はチェコから輸入できず、アルミニウムを使用。




1964年 アーノルドの工場でのバンドネオンの生産は完全に停止され、全ての工作機械がクリンゲンタールハーモニカヴェルケ(VEB Klingenthaler Harmonikawerke)に運ばれる。クリンゲンタールでバンドネオンの生産が継続されるものの、最盛期のアーノルドのバンドネオンの品質にはほど遠く、販売停止。生産終了となる。


1971年 アルノ・アーノルド(Arno Arnold GmbH)社が楽器事業から完全撤退。


1976年 エルンスト・クセロー(Ernst Kusserow)の弟子であるクラウス・グートヤー(Klaus Gutjahr)がオルガン製作者 兼 木工職人のウェルナー・バウムガートナー(Werner Baumgartner)と共に最初のオリジナルバンドネオンを完成。なお、その後1984年にはパリに在住するアルゼンチンのバンドネオンの巨匠ファン・ホセ・モサリーニ(Juan José Mosalini)に楽器を製作。


1980年頃 バンドネオン修理師 兼 演奏家のオリヴィエ・マノウリ(Olivier Manoury)が自らが演奏をするために「ペギュリ・システム(Peguri System)」のバンドネオンを改造し、「マノーリシステム(Manoury System)」を考案した。これは「ペギュリ・システム(Peguri System)」と同じアコーディオンのCシステム(イタリア式配列)ではあるが、リードにハンダを乗せて削るという作業を複数個所に対し行うことは非常に困難を極めた。なお、「マノーリシステム(Manoury System)」名付けたのはクリンゲンタールの修理師 ウーヴェ・ハーテンハウアー(Uwe Hartenhauer)である。(この呼称は現在のバンドネオン製作販売業者らによって仕様の一つであると認められ、商業的に使用されている。)


1987年 ベルギーのハリー・ゲウンス(Harry Geuns) は自分が所持するバンドネオンの修復を試みたことがきっかけでバンドネオン製作に開眼、この年に最初のオリジナルバンドネオンが完成する。Alfred Arnoldのバンドネオンを復刻し、製作販売。楽器の修復、修理、特殊部品の製造も行う。


1989年 ドイツのアコーディオンメーカーであるホーナー(Hohner、(HOHNER Musikinstrumente GmbH)がクラウス・グートヤー(Klaus Gutjahr)のオリジナルバンドネオンに触発され、バンドネオンの販売に興味を持つ。その結果、5年間の独占契約を結ぶ。2年で150台のバンドネオンが製作販売されたが、Hohnerの価格設定があまりにも高過ぎたため、販売が困難な状況であった模様。契約は双方の合意により時期尚早に終了となった。


1991年 ウーヴェ・ハーテンハウアー(Uwe Hartenhauer)が「Handzuginstrumente」としてバンドネオンの製作販売を開始、「UH Bandoneon」として展開する。1978年から「Harmona Akkordeon GmbH」でアコーディオンのメンテナンスと取引の経験を積んだベテランである。財務諸表によると2019年の売上高は 187,544ドル(USD)であった。主に中国、日本、アメリカに輸出。アルゼンチンにはほとんど販売されていない。従業員は1名(Uwe 氏本人のみ)。


1995年 クラウス・グートヤー(Klaus Gutjahr)がベルリンで「PREMIER Bandoneonbau」を設立、ビジネスパートナーはPeter Spende。



1998年 チェコ共和国 ロウニ (Louny)の「HARMONIKAS s.r.o.」社は Titlbachovi家によって設立される。アコーディオンを始めとした楽器製造の会社。かつて「DIX (ディックス)」という名でザクセンで生産されたリード製造の伝統を引き継いでいる。現在も新型バンドネオン業者の多くがこの会社のリード及びリードプレートを使用している。代表取締役は Ladislav Titlbach。2019年時点で 62人の従業員を擁し、284万ドル(USD)の売り上げ。


1999年6月 Peter Spendeがクラウス・グートヤー(Klaus Gutjahr)とのパートナー契約を解消し退社する。(この段階でPeter Spendeが「PREMIER Bandoneonbau」を名乗ることは許されない)


2001年 アルゼンチンのバンドネオン奏者 兼 修理師のオスカー・フィッシャー(Oscer Fischer)が「La Casa del Bandoneón」を立ち上げ。市民団体、楽器製造販売、楽器博物館、バンドネオンの製造・修理の学校を兼ねた組織である。

2002年 ドイツのロバート・ヴァルシュレーガー(Robert Wallschläger)がカールスフェルドのバンドネオン製作を復活させるため、「Handzuginstrumente Carlsfeld」としてバンドネオンの製作販売を開始。オリジナルブランド「RW Bandoneon」を展開。また、リード楽器全般の修復、調律を専門としている。


2003年 ドイツのザクセン州クリンゲンタールで旧Alfred Arnoldの商標の所有者および管理人であるアンジャ・ロックストロフ(Anja Rockstroh)が戦前のアーノルドの品質を取り戻そうという熱意で「Bandonion&Concertinafabrik Klingenthal GmbH」を設立。元々は1887年にコンチェルティーナやその他の楽器を製造した家族経営の会社。楽器製作を手がけるのは Ralf Skala (ラルフ・スカーラ)氏。財務諸表によると4名の従業員を擁し、2018年の売上高は401,261ドル(USD)であった。


2009年 アルゼンチン上院議会で「バンドネオン文化遺産保護法」が成立。製造から40年以上経過したビンテージバンドネオンの輸出が禁止となる。

アルゼンチン国内に存在するバンドネオンは製造年からの経過年数、所有者のデータの登録を義務付けられる。所有者が対象となるバンドネオンを売却する場合、国、州、ブエノスアイレス市、および地方自治体が優先的に購入権を付与される。

起案者は「La Casa del Bandoneón」の代表 オスカー・フィッシャー(Oscer Fischer)である。

アルゼンチンのミュージシャンが、海外ツアーの機会を利用してバンドネオンを外国人に販売したり、日本やヨーロッパからの観光客が無差別的にビンテージバンドネオンを「約 4000ドルのお土産」として購入することにより、楽器が現地のミュージシャンの手に渡らなくなる事を危惧した事による。これは、ユーロや円がペソに対して有利な為替レートであることや、バンドネオン教師がアルゼンチン国外に楽器を持ち出して転売することも背景に有る。

ただし、この法案の起案には、「楽器の製造および製作者やバンドネオン教師などへの補助金の支給を狙う」という裏の狙いも含まれる。

結果、アルゼンチンのバンドネオン奏者は自分の楽器を持って外国に出張演奏がしずらくなってしまう。出国時に書類の審査をクリアせねばならないからである。外国のバンドネオン奏者が何らかの理由でアルゼンチンにバンドネオンを持ち込んだ場合も帰国時に同様の書類審査がある。(修理工房のリペアの領収書やバンドネオン教室の受講料の領収書などがエビデンスとなる)


2011年 アルゼンチンのバンドネオン製作者 オスカー・フィッシャー(Oscer Fischer)が「バンドネオン自体は絶滅の危機に瀕していません。危険にさらされているのは、バンドネオンのタンゴです。(=バンドネオン奏者不足と言いたい)」と考えを訂正。

しかし、法案は2009年に可決しており手遅れ。自身が手掛けるアルゼンチン製の楽器のプレゼンテーションをするが古い楽器を求める声は未だ健在な模様。

同年、ベルギーのハリー・ゲウンス(Harry Geuns)の楽器製作に配偶者のリニー(Riny) が加わる。バンドネオンの蛇腹や各種部品の製作を手掛ける。


2013年 アルゼンチンのバンドネオン製作者 オスカー・フィッシャー(Oscer Fischer)がアルゼンチンのバンドネオン「Fischer (フィッシャー)」の誕生を発表。このとき従業員は約 12 名(生徒を含む)、年間 100台の生産が可能な体制であった。


2014年 ロシアのLLC Bayan JupiterBandoneon ’’Jupiter’’ の製作販売を開始。この楽器の基本仕様は「マノーリシステム(Manoury System)」である。楽器の監修をするのは国際コンクール受賞級のアコーディオン奏者、バンドネオン奏者である Maksim Fedorov(マキシム・フェドロフ)。


2016年 イタリアのアコーデオンメーカーであるScandalli Accordionsが Scandalli Bandoneonを発表。楽器の開発にはバンドネオン奏者のAleksandar Nikolic (アレキサンダー・ニコリック)が関わっている。


2017年 アルゼンチン メンドーサ州のバンドネオン修理工房 Nuestros Bandoneones 代表のVicente Toscano (ビセンテ・トスカーノが、Bandoneon ” T(Toscano) ”を製作し、販売開始。基本仕様は「ライニッシュ式配列(Rheinische lage)」である。


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202x年 日本 東京都の楽器店「Bellows Works Tokyo」代表である原田 親明 氏が新型バンドネオンを製作。(2021年から本格的に取り組み開始とのこと!)

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